昨日の診察結果

昨日、うつ歴12年にして2人目の精神科医を受診した。

きっかけは、ADHDについてブログ検索をするうちに、愛着、安全基地といったキーワードにたどりつき、岡田先生の文献「愛着障害」にて自分の症状をよく似た傾向が確認できたこと、このままでは家庭が崩壊する(もうしている)、その前に、解決できる課題があることが見えてきたことから、その関係に強く、かつ、地元のクリニックであることである。

この知見を得た私は、自分の生い立ちからうつになった経緯、その後の経過を1枚の絵にした資料を作成した。そして、前の医師、カウンセラー、今度の医師に診ていただいた。

カウンセラーは、あなたが自分に向き合い悪い感情も含めて吐露できたのは、あなた自体が変わってきたことであり、よいことだ、と仰ってくれた。

前の先生は私がADHDだとして1年以上投薬を続けた。作成した資料を見ても、いきなり見せられて唐突、努力は認めるが今後どうするかが大事、このような資料を描くのもADHDの症状、と予想通りの反応だった。

昨日は、1時間半、妻と先生と私で作成した資料を基にこれまでのいきさつを説明した。母のヒステリック、父の毎晩の酒飲みは、それ自体で十分トラウマ。普通に考えて管理職を何年も勤めてきた人間がADHDではない。トラウマ治療の価値はあると思われる、とのことだった。

今後どうするかは悩んでいる。妻にどうしようと持ち掛けたが無視された。責任を取ろうとしない回避型の私の傾向を見抜いているのだろう。でも、今のマンションを買う時もそうだったような気がする。大学進学を選ぶ際も、今度の医師のところに受診に行くにしても、妻は徹底的に無視するか反対する。二言目にはどうせ私のようなバカは相手にしない、と。

私が変わることで妻の感情を和らげたいが、どうすれば今回の意思決定プロセスを今までとは違う形で円満にできるのだろうか。ことあるごとに私を遠ざけ無視し続けた妻と元の居心地のよい関係に戻れるのだろうか。愛着というキーワードが私には重い。

息子には、私が酒に酔ってつい「お前は病気、ADHDだから」とストレートに押さえつけてしまったことを詫びた。息子はその話を聞くのが嫌そうで、目をそらして貧乏ゆすりをはじめた。あれ以来、息子の態度がよそよそしく、本音の関係を保てていない。私が変わらねばならないのだ。