去年と結局同じだ

去年のブログを見返した。去年と今年、家の雰囲気は全く一緒だ。
一昨日、妻と精神科医に行った。妻と同行することをお願いしていた。5時からの受診と伝えていたので、妻は4時過ぎに起きてきて、私が4時29分の電車に乗って行くと伝えたところ、だったらもっと早く言ってよと切れてシャワーを浴びた。妻はシャワーは浴びて20分遅れて出てきた。
妻は私にこういった。私の保険証は必要? 念のため持参してほしい。私はキチガイじゃない、自分の時ばかりこうやって人に迷惑をかけて、いつも自分のことばかり。結局、ギリギリ間に合うようにクリニックへ向かった。
先生は私の生い立ちを含めたこれまでの経緯を丁寧に聞いて理解しようとしていた。私と子供との関係を確認しようとしてる時に、妻は泣いている息子を私に放り投げるようにして、足を引っ張るんじゃないと私が言ったことを覚えていると告げた。確か当時は昇進試験の直前、何とか時間をやりくりして家に帰って準備をしようと思っていたところ、妻は子供を家にほったらかしたまま買い物に行っていた。ただ、そのことを初対面の医者の前で言い争ってもしょうがないと思い、口をつぐんでいた。
あまり言いたくはないが、それ以前の事から溜まっていたことを考えると、私に反省すべきところはいっぱいあると言う事は認識をしている。
一方、私がうつで本当に苦しんでいた時に、残念ながら家族が支えにはなってくれていなかった。今にして思えば、当時私は気づかなかったが、すでに今と同じで誰からも気にかけられる事のない孤独な存在であったんだと言うことが、今更ながら思い知らされた。
では今の立場はどうなんだ。何年も何年も、妻からは無視をされ、どこか同じ場所に出かけるにしても、いつの間にか私を無視して先に出ていく、あるいは、私との間に距離を置きながら歩く。このような仕打ちに耐えながら、自分の気持ちを折り合わせながら、生きてきた。四年前に誰からもまともに相手にされずに、生きる気力を失ってしまい、希死念慮が抑えきれなくなって、最後の望みとして妻に連絡を試みたがとることができず、生きる気力がないと妻にメールをした。
端からお詫びのメールがひっきりなしに届いた。私が我に返り、大事な家族を失ってしまう、路頭に迷わしてしまう、ことに対し、そうならないよう私が頑張っていかなければいけないんだと、家族をもっと意識しながら過ごさなくてはいけないんだなと考えさせられた。あれから、私なりには頑張ってきたつもりだった。私に遺伝や生育環境における問題があって、おそらく愛着の問題や幼少期のトラウマなどが、私を通常の管理業務すらできない脳の構造になってしまったんだろう、ということがやっと最近になって見えてきた。そのことを妻や下の主治医に告げたが、取り合ってはくれなかった。
4年経ち改めて当時を綴ったブログや日記帳を見返した。あの頃と何も変わってなかった。私は自分の生き方を直すために、いろいろやってきたつもりだった。しかし、変わっていない。そうこうしてるうちに、私の生き方を実現する会社と言うフィールドで、私より下のものが私より上位職になっていく。一旦うつ病とレッテルを貼られた私は、誰からも相手にされずに、自分の存在価値を自分で探求しながら、弱い立場でビクビク震えながら何とか生きている。
日々罵声を浴びながら、あるいは、無視をされながら、我が家の中で何とか父親がいると言う存在だけアピールできているのだろう。