妻からの宣告

息子がクラスメイトのイヤホンを盗み、学校で禁止されているスマホを使用し没収された。学園祭の真っ最中、妻は仕事を切り上げ息子の学校に行った。
先生と話をして安心したようだ。私は家にいた。どうだったか聞いたら、自分で行けばとの冷たい返事。

改めて過去を詫び、将来に向けた話をしたら、和解はない、娘と息子の受験が終わったら、実家に帰るとの宣告を受けた。せめて妻に手を繋いで欲しいと願ったが、これも拒否された。休みの日になるたびに、こんな話ばかりでウンザリとシャットアウトされた。

私にはなす術がもはやなくなった。すべての会話が裏目に出る。あなたの攻撃的な態度が居心地の悪い家をつくっていると言ったつもりが、理解されない。モップがけしながら切れた。朝おはようと挨拶しようと言ったことも否定された。

私と結婚して良かったと思ってもらえるように、頑張ってきた。まさか自分に精神疾患が出るとは思わなかった。ギリギリまで耐えたが、対人恐怖には勝てなかった。適応障害からうつを何度も患った。仕事でこれ以上拗らせないため、研究職に身を置いた。はや12年、体調は優れない。後輩に抜かれながらも耐えているがしんどい。会社だけでなく、家庭でも居場所が失われている。安らぐ時間がない。私を支えてくれるものはない。

私は誰のためにこの間、這いつくばってきたのか。
子供への愛情が希薄なパーソナリティ障害であることもわかった。仕事を抜かず、自分ではヘトヘトになるまで子供にも関わった。でも妻から見れば何もやっていない、となる。
仕事人間、しかも、要領悪く不安が絶えないのは愛着障害adhd のせいだ。うつ告知後は人生の優先順位を家庭におくことにした。慢性的抑うつ感と不安症のモヤモヤの中で、自分に出来ることをそれなりに精一杯やった。出世は絶たれても子供が誇れるよう博士号と英語に精を出した。愛する家族のため。
しかし、今日生きる気力を失なった。最後の一押しをされてしまった。張り詰めた糸が切れた。

もはや何をしてもダメなのだろう。生きる意味がなくなった。私と一緒にいる時間分、妻を傷つけていることがわかった。私の育った家庭環境と酷似している。いや、妻との関係はそれより酷い。毒親である私が居続けることにより皆が苦しむ。妻と子供たちのためにも、早くいなくなりたい。