妻の感情

朝から妻に言われた。あなたの怒りの感情はパワフルで、家族中に嫌な思いをさせる。あなたは何も変わっていない。酒を飲むと言う事が変わる。本音が出る。普段は我慢しているのだろう。本心が出る。
私は医師との会話や、これまでのことを振り返りながら、自分なりにやってきたこと、今の自分に課せられた環境について話した。
改めて、私が精神疾患であることを思い知らされた。どうもがいても、どうしようもない現実。父の役割は母を笑顔にすること、と何かで読んだ。私にはどうしてそれができないのか。
今まで全然楽しくなかったのか、尋ねた。全く楽しい事なんてなかった。いつも他人のことを心配してばかり。いいことなんて1つもなかった。私の中で何かが折れた。
幸福になるには関係性がすべてだと、ハーバードの研究で言われていた。ある社会学者は物欲、権利欲とかではなく、関係性、目的、超越、自分のストーリーが生きる意味を育む、と言っていた。仏教でも同じことを言っている。
私はこの家庭で幸福、生きがいを感じられないのだろうか。妻にも感じてもらうことはできないのだろうか。不安、恐怖を感じる。いくら頑張っても表面的。何かを機に元に戻ってしまう。父の姿を思い出した。ずっとうつだったんだろう。息子にも感じる。

後日、妻は息子が朝起きないことに怒りを発し糞野郎、キチガイとつぶやいていた。
私の姿を見ると気持ち悪いと発し、その後無視された。
妻に、息子にはいいところがある、と言った。普通の人ができる事ができない面もあるが、彼なりに頑張っている、今日も頑張って学校に行った、と告げたら切れた。
いいところは何なの、言ってみてよ、何もない。何をやっても中途半端。やり遂げられない。余計な事ばかりする。学校に行くなんて当たり前の事、当たり前の事ができないことを心配しなければならない。これでは安心できない。安心して暮らしたい。
彼はそれでも成長した。親としても成長したように思う。残念ながら私も含めて、当たり前にできることができない。人間関係の葛藤を処理できない。うつになる。その弱点も身に染みて知った。息子はそれを知って相応しい生き方ができる。
私だって、そんなこと夢にも思っていなかった。酷い運命だと思った。だけど受け入れるしかない。自分の運命を受け入れながら、よい道を探し求めていくしかない。妻は、わかっていれば結婚しなかった、息子を生まなかった、と思っている。
私が甘いのか? 自分の運命を押しつけないで、というのは確かに妻のもっともな言い分かもしれない。それを私は求めたのだろう。世のブログなどを見ると、受け入れながら成長していく物語がある。養護学校の送り迎えのお母さんは意外と明るく見える。そこに至るまでに多くの葛藤があったのだろう。一見まともだが精神疾患の夫と息子を抱えて、不安と心配にさいなまされながら、どうやって安らぎ、幸福を感じろと言うのか、そこに怒りや絶望を覚えるのは、仕方ない事なのか。それも受け入れなければならない現実があるかと思うと、あまりに厳しい。