後悔していないか

会社の人事異動が発表された。私の後任は組織再編に伴い上位職に格上げとなった。もし私が休職をしていなければ、ということが頭をよぎり、1回目の休職時と同じだな、と感じた。しかし、あの環境で自殺未遂をするまで追い込まれたずっと先の見えない状況でいられたかといえば「否」であった。1回目の休職時は、あと半年我慢すれば確実に職位が上がるところでのリタイアとなり、元に戻るまで追加で3年かかった。
現箇所に赴任してから4か月半が経過した。この間、屈辱感を覚えつつも、新しい環境で身に着けるべき技量を習得するなどで時間を過ごしてきたが、ここに来てやることがなくなり暇を持て余すようになった。一方、単身赴任で不便な環境であるとともに、テレワークができなくなって会社で常に他人の目線を感じる中で何かしていなければならないといったストレスを感じながら日々を過ごしている。
これから業務改善にも取り組まなければならない。よくわからない、理解できない中で色んなことを屈辱に耐えながら行わなければならないと思うと、この環境でも耐えられるのだろうか、だが、ここでダメならもう行き場がなく会社を辞めて暇地獄に陥ることも分かっているので、とにかくここで踏ん張るしかない。そう思うとやるせない気持ちになってくるが、自分が選択した道なので、後悔しても仕方がない。
どっちがよかったのか、訳わからずいつくるかわからない恐怖メールに怯えながら腹をこわしビクビク生き続けるのか、あるいは、ここのノリに自分をアジャストしながら騙し騙しやっていくのか、どうしても考えてしまう。頭をよぎってしまう。一昨日から、睡眠薬が効かなくなってきた。一昨日は早朝覚醒もしてしまった。苦しかったあの頃の精神状態が思い起こされる。
選択肢があると思うな。もう決断はしてしまったのだから。ここで生き続けるのだ。それしかない。自分に言い聞かせながら生きていくのだ。

1年前と同じだ

以下は、去年のコメント。職場が変わっても、メンタルは何も変わっていない。自分の根本的な問題なのだ。

毎日薄氷を踏む思いで過ごしているので、夕方になるとどっと疲れが出てしまう。おまけに、その対応を後々までくよくよ悩み、睡眠障害に陥ってしまう。平日は毎日がこの繰り返しで、もう嫌だ、うんざりだ、と思う。助けてほしい。本当に助けてほしい。こう考えることも精神の疲れに繋がっていく。自分は何てポンコツな頭をしているのだろうと思う。消えていなくなりたい。死にたい。もう嫌だ。許してほしい。助けてほしい。

一昨日は、同期の三回忌で当時一緒だった8名との懇親会だった。懐かしい話で盛り上がったが、会社の話しになるとスケールが違い聞き役に徹するしかなかった。

今日は日曜日、昨日は一日中ベッドて横になっていた。今日も起きて話をする気力がない。

今の職場も前と同じで、話についていけない。何をやっているかわからない。最近はやることがなくなり、一日を潰すのが辛い。ロジカルに考えることができない。

6月7日

今朝も6時に目が覚めた。眠っている間が最も充実している。今日の夢は、客車列車に乗車していて、その乗り心地が良いと感じながら過ごしている夢だった。昨日の酒が少し残っていてめまいがした。ただ起き上がる気力がなく、ベッドの中で徐々に現実に引き戻される感覚があった。
何もやることがない一方で、問題が起きるとそこから逃げるような気持ちになる。管理職としての対処能力がなく、コミュニケーション能力もない。私の真の姿があらわになって怯えている。今も机の上で所在なくこの文章を打つことで、時間を潰している。
家庭でも、面倒なことからは逃げている。先日妻が寮の衣替えに来てくれた時も、流しの掃除など面倒なことをやらせてしまった。人付き合いも面倒で、気が付けば親戚も含め、私に近づこうとする人がいなくなってしまった。仕事上の付き合い以外の人とは縁がなく、また、コミュニケーションをとるのが億劫で、結果的に孤独な日々を過ごしている。
自分としては丁寧に事を進めようとしているつもりだが、スケジュールをよく確認しないで、先約があるにもかかわらずOKの返事を出す、相談を受けた際にも自分の立ち位置を理解しないまま不十分な理解で受け入れ後で部下から指摘を受ける、など、元からあった特性が何もすることがない中で顕著に表面化しているようだ。今までもそういった特性はあったが、それに気づかず勢いで物事に対処できていた。
よく考えると中学生の時から付和雷同と通信簿に書かれていた。その性格が今になっても治らずに私を苦しめる。怒られないように人の機嫌を伺い、嫌われないように対処する、自分がない、自分に自信がない。会社から見捨てられてもなお、この人間関係に苦しんでいる。

6月5日

白河に転勤して4か月が過ぎた。この間、最初の2か月は新しいことを覚えるのに夢中になり、時が過ぎるのを忘れていた。GWは9連休だったが、やることがなく、また、なにもやる気が起きず、ベッドで横になる時間が多かった。連休最後の日に肩が上がらなくなり、翌日も休みをとって整形外科に行った。
最近は、職場でやることがなく、かといって、テレワークもできず、職場で所在なく時間をつぶすことが多くなってきた。今日はフレックスで研修生と一緒のバスで10:10過ぎに出社したが、1時間もすればやることがなくなってしまった。
前の職場と一緒で、やることがなくなる時間が多くなってきた。時々、休職なんてしなければよかったと思うが、医者に言わせればあんなに嫌がっていたのに何を言っているのか、といった感じだった。
相変わらず、理解力が乏しい、何をやっているのかわからない、議事録が取れない、といった悩みを抱えている。時間が経つにつれて、誰からも相手にされなくなりつつあるような気がする。だんだんと自分の居場所がなくなってきている。
朝起きるのがしんどくなってきた。連休明けくらいから、7時に起きられなくなり、今は8時過ぎまで横になり、それでも具合が悪いとフレックスで9時くらいまで横になるようになってしまった。
一昨日、妻が衣替えの荷物をもってきてくれた。1日レンタカーを借りて買い物をしたり、そばを食べたり、甲子温泉の日帰り入浴に行ったりした。妻は気が晴れたようであったが、私はいつもと同じで何をやっても気が晴れない。とても素晴らしい景色で、いい温泉で、そばも美味しかったのだが、私の気が晴れることはなかった。翌日の日曜日は起き上がれなくて夕方5時近くまでベッドで臥せていた。
前の職場では追いつめられるような思いをして苦しくなったが、ここではまだその気持ちにはなっていない。4か月が経過して、徐々に前の状態に戻りつつあり、後悔の気持ちが強くなってきた。でも、もはや逃げ道はない。会社を休んでも悶々とした気持ちになる。今の立場で頑張るしかないのだ。

転勤

2月1日に福島県に転勤となった。同地では22年ぶりの勤務。ちょうど娘が生まれた年だ。今、娘は22歳。あの頃はとても充実していて、今とは何もかもが大違い。
家からは通えないため、職場近くの単身寮で一人暮らしを開始。こちらと比べてとても寒い。
転地療法という言葉もある。気分を新たに、健康第一で安定して過ごしていきたい。管理職になりたての人が就くようなポジションで、実質降格だが、2度目の休職を経た自分にとっては致し方ない。ここで業務を全うするんだ。慣れるまでは大変だが、一つずつ積み上げていこう。
業務用のスマホを持たされ、スマホの2台持ちとなった。とても怖い。失くしものの多い私にとっては、一大事。また、フレックス対象外となり、1日がとても長く感じるようになった。

55歳の誕生日

1月14日の誕生日に妻がケーキを作ってくれた。娘が寮から家に帰ってきてくれた。娘から誕生日のプレゼントの帽子をもらった。1週間前には、家族4人で食事会を開いてもらった。
その瞬間はとても嬉しい。心が温まる。しかし、一人になると途端に憂鬱になる。
今日は17日、会社のデスクでこのブログを書いている。研究テーマの話に全く着いていけない。議論にほとんど参加していない。この職場もあと2週間。また転落していくのか。私の決定的な弱点は、頭が悪いことに尽きるのではないか。頭が悪いから、色々な議論についていけない。物事を進めることができない。その結果、鬱になる。
そうやって周囲を見てみると、頭の回転の良し悪しがその人のパフォーマンスに大きく影響していることがよくわかる。
頭がいい人は本当に得だな、とつくづく思う。それなりに努力したつもりではあるが、全く使えない人間になってしまっている。
何も役割が果たせず、やることのない中で、針の筵状態でいる。本当に生きているのが苦しい。
大学の先生との情報交換の下打ち合わせを行ったが、資料の内容の理解が及ばず、資料説明を誰が行うか議論している時にドキドキしだした。部下に強引に振ってしまったが、ごく近いうちに異動が告げられこの部下からも白い目で見られるのか、と思うとやるせなくなる。

委員会終了&妻の不機嫌

先ほど、予算取りの委員会が終了した。結論から言うと、資料の修正で承認ということで、予算の削減検討まで話は至らなかった。これに向けて、職場復帰後、年末年始ずっと頭を悩ませ続けストレスで早朝覚醒したり痛風で足が痛くなったりしたが、Q&Aの準備や資料説明の練習を重ねた甲斐があった。こういう会議は苦手だ。何度経験しても免疫ができず、その都度、そのことで頭がいっぱいになる。
月曜日(祝・成人の日)妻が主催して私と息子の誕生祝の昼食会を品川でしてもらった。その後、妻は娘を送りに行きながら明治神宮に行ったのだろう、帰りが8時過ぎとなった。帰ってきたらいつもの妻に戻っていた。口をきかずに黙って夕食の準備をしていた。火曜日は新年初日の出勤だったので7時過ぎに家を出た。妻は不機嫌そうに朝食を作っていた。私は田町に出張後、明日の会議に向けて資料をただ眺め、8時頃帰宅した。帰ったところ朝食をとった後の状態で食器類も洗われてなく、部屋も真っ暗だったのでどこかに出かけたのかと思ったら、妻はベッドで眠っていた。洗濯も掃除もしていない。ややいらついて食器を洗い、風呂を整え、ゴミを捨てに行ったら息子が帰ってきたので、残り物を二人で分け合いながら夕食をとった。この間、妻はずっと寝ていた。今朝、起きてからも妻は機嫌が悪く無言でいて、朝食のおかずを作るとまたさっさと寝てしまった。その間に、大丈夫か尋ねたところ、「黙ってて」「具合が悪い」「医者じゃないんだから聞いて何の意味があるの」と罵声を上げてきた。この状態で来月から単身赴任できるのか、また、今日大事な会議があることも告げられず、ため息ばかりが出るような状況だった。職場でも休みをとったせいで周囲がよそよそしく孤独を感じる。家でもこの扱いで、心の拠り所がない。睡眠も十分にとれず、時間を持て余している。生きている実感が全くない。これからの人生に絶望しか感じない。認めたくないが、適応障害のストレス原の中に、妻のこのような私への冷たい対応もあるのではないかと感じてしまう。この先いいことは何もないのかと思うと、いい加減死にたくなる。