私のトラウマは何か

日曜のひと時。自分に向き合えず、仏教のブログを眺めていた。ついうたた寝をしてしまった。その時、夢にはっきり出てきた。心臓が圧迫される、心理的に完全に追い詰められている、逃げ道のないこの感覚。

大勢の人たちの気持ちが私に向かっている。理不尽な異動により、転勤を余儀なくされ、そのことについて、説明を求めてくる人々。実際には来ていないのだが、来たときのことを考えるだけで追い詰められる。
当時を思い出すと、その対応について、自分の中でその表面的な理由と、そこでやろうとしている真のねらいがあまりにも噛み合わず、入ったばかりの私にとって何が起ころうとしているのか全くわからない、あまりにも地に足がついていないと言う不安があった。職場では孤立していた。他の職場の同僚ともきちんと本音で話せるような状況ではなかった。真面目すぎたのか。自分1人が馬鹿を見たという感じが今でもしている。

たまたま出会えた仏教のブログを読んでいたら、人間にとって最も怖い事は、死である。なぜ死が怖いかと言うと、死の先に何があるかわからないからだそうである。その気持ちが不安と言う形になって人を無明の闇と言われる不安に陥れる。先が分からないから不安であり、安心を得られないのであり、幸せになれないのである。

でも今、冷静に振り返ってみると、もう少し周囲のことが、全体像がわかっていれば、きちんと対応できていたかもしれない。あの時は、精神的に全く余裕がなく、状況やそこにいる人さえも理解できない中で、完全に孤立をしていた。突き詰めれば、その置かれた孤独や未知の状況に自分の心があっという間に悲鳴をあげてしまったと言うことだったのだろう。つまり、私は自分が孤独であると言う状況に対して、耐えきれずうつ病になってしまったと言うことなのではないか。
だが、よく考えてみると、程度の差こそあれ、こんな状況は人の上に立つ以上いつ何時起こりうる事であり、それに対して心が折れると言う事は、やはり不安材料を常に抱えていると言うことになるのだろう。この根本原因をどうにか取り除き、安心できる自分を取り戻していく中で、再び地に足をつけて前に進むことができる力をつけていきたい。