Yuki さんのブログとの出会い②

Yuki さんのブログの記事を熟読していく中で、自身がうつ病に至った原因について、これまで非常に表面的な捉え方しかできていなかったことに気づかされた。新たに気づいた点は、次の2つである。
1つは、遺伝的要因である。私の父は、おそらく解離性障害ADHDを抱えていたのであろう。私が幼い頃の記憶では、長姉に対し今で言うDVを行っていた。自分が気に入らないところがあると暴力で従わせようとしていた。また、人付き合いが大変苦手であり、勤めていた会社を人間関係が理由で若いうちに退社し、自営の工場を営んだ。以降は友達らしい友達もなく、一人で過ごすことの多い父親だった。そんな父親であったが、一人でいるのが寂しかったらしい。夜中に起き出して、焼酎を飲みながら一人もんもんと考え事を繰り返し、夜明けごろにまた布団に入る生活を繰り返していた。おそらく当時はうつ病に悩まされていたのだろう。会社経営がうまくいかなくなると余計にストレスが溜まっていたようで、40代で胃の4分の3を切り取ってしまうなど、身体にも心にも負担がかかっていた。
もう1つは、生育的要因である。父がこんな状態だったので、母は自己愛性パーソナリティ代理症か、カサンドラ症候群になってしまったのだろう。母が亡くなった後に気づいたことだが、新婚当時の父と写っていた写真の入ったアルバムに(これが私の不幸の始まりでした)と書かれていた。母は妻に、私が幼少の頃、「おとなしくて良い子だった」と話していたそうだ。確かに、私もそうだったと思う。そして私は、何をやってもうまくいかない劣等感を抱えながら、何とか良い結果を出そうと、何かに怯えながら生きてきた。
私が幼少の頃は、母は私にヒステリックに怒りをぶつけることが多かった。その理由は、当時月間購読していた学習雑誌に手を付けず勉強しなかったことだった。最近妻から聞いた話だが、母は働きに行きたかったものの、私が原因で働きに行けなかったらしい。私は姉からは、母が人間関係がへたくそで、会社生活が長続きしなかったと聞いていた。
こういったことからすると、私が赤ん坊の頃、父の遺伝を受けた私が思うように育たなかったこと、また、姉2人を育児する中で母にはかなりストレスが溜まっていたことから、母は私をストレスのはけ口とするような行動をとっていたのかもしれない。そのことによって、私は愛情を求めると怒られるので息をひそめる赤ん坊として、おとなしく良い子になっていたのだろう。愛情が欲しい、だが、母に怒られたくない、その結果、表面的に良い子を取り繕う自分を形成していったのではないか。そのことが、愛着障害、心の安全基地の欠如、をもたらして今に至っているのではないかと思われる。