過剰適応

過剰適応という言葉に出会った。
関西学院大学の水澤慶緒里先生の論文に、定義や背景が詳述されていた。
簡単に言うと、企業で評価のために頑張りすぎて、障害に至ってしまうことだ。
まさに私のことだ。三度目の鬱を患い、心療内科に加えて心理カウンセリングを始めた時に、入社時から20年間の評価をスラスラ言えた。評価のためだけに頑張ってきた証だ。
あれから6年。当時の部下に抜かされ、それでもまだ評価が気になる。今は環境も変わり、研究で貢献しようと決意を新たにしたつもりだが、いろいろ自分を知り抑うつが続いている。
愛着障害発達障害で親からの信頼が欠如したまま大人になってしまった。安全基地がなかったのを社会人になって評価に求めたのだろう。自分の努力が評価に直結するまでは順調だったが、管理職になったとたん崩れた。
良い成果を出すこと、不祥事を出さないことに躍起になった。それでも無理して苦手な対人関係に向き合ってきたが、結果は管理者のメンタル不全を何人も出し、組合からの突き上げで自分もダメになった。今から思えば安全基地を脅かされまいとした過剰適応だ。
パワーのある時の傷の方が深いという。自分の拠り所を失った。時を経て内的目標を掲げたつもりだったが、競争の敗者としての自分しか見えない。
こんな生き方をしたから、家庭が壊れてしまった。自分なりに父を反面教師にして、家に目を向けたつもりだったが、普通とはかけ離れていたようだ。家族と向き合う能力も実績もなかった。対人関係を全力でやっても普通の人の普通以下なのだろう。
休日なのに家族とは会話もない。心を通わせる相手がいない。6年前の闘病日記を見たら、妻に泣きついたり、妻から怒鳴りつけられたり。あの時、身体を治して家族に向き合おうと誓ったのに、すべてを失ったままだ。もう取り返しがつかないのか。
私が高校生の頃、ダメな親、鬱陶しい親、どうしようもなく居心地の悪い家と思っていた。そうしまいと思ってきたのに、見事なまでに再現された。父は実は辛かったんだなぁ、と今更ながら感じた。結局、一番ダメなのは自分だったんだ。と思うと、妻と子には本当にお詫びのしようがない。
まさか 50過ぎてこんな現実を知ることになるとは。私の人生産まれた時から詰んでいたのかな?