激変した生活

3月25日、娘が大学に補欠合格した。家の中のピリピリは限界に達していたが、緩解する様子が私にも伝わる位の変化だった。親としては正直ホッとした。娘は4月1日に旅立つ。私はこの家族が揃って過ごす最期の時と直感した。それを言ったら妻が不安定になるので留めた。妻はどう感じたのか? ディナーと一泊旅行をセットした。

世はコロナで自粛ムード。こういったこともはばかられる風潮だが、急を要する、と自分に言い聞かせた。最優先する家族の一大イベント。ディナーは楽しかった。息子が思いのほか緊張していたのが笑えた。コテージでの温泉旅行、妻が私に相談なくポンと決めたが、それで構わない。季節外れの雪予報でどうしようか妻は迷ったが、私には止める選択肢はなかった。

箱根に泊まったのは7年前、あれからそんなに経つんだ。職場社員の結婚式後、イやなメンバーと2次会に行き、逃げるように箱根に向かった。鬱状態がひどく、それを相談したかったが、義理の妹が倒れてバタバタしていて、結局かなわなかった。帰りの車の中でも悶々とし続け、帰宅後、妻は私に切れた。その後、会社に鬱状態を申告して、私のキャリアは止まった。あれ以来か、と思った。自分は何とかこの会社にしがみつき生きているなあ。7年間って長いよね。当時小学生だった子供たちが、大学受験に向かっている。遅ればせながら、家族に向き合う生活がはじまったが、何もかもが思うようにいかない。イライラと葛藤と焦りと孤独との闘い、だったなあ。

4月1日、別れの朝が来た。スーツケースを携えた娘を玄関まで見送った。娘から(妻が仕組んだのだろう)手紙をもらった。涙がこぼれそうになって声が出ない。握手した。家族で過ごす最期の時。次に会う娘はしっかり自立した大人か。そう思うと寂しくなってきた。

私は30年前、地方の大学に合格した。旅立ちの日、引っ越しを姉夫婦が手伝ってくれた。自分勝手で引っ込み思案の私は、ここでも勝手に振舞っていた。新しい自転車を買ってもらえず、母が黙って今まで使っていた壊れかけの自転車を積み込んだのを覚えている。そうか、父は入院していたんだ。別れも告げずに私は出ていった。それ以来、親とは疎遠になった・・・。

あれから今日で12日目。世の中が激変、コロナで大変だ。私はテレワークが増えた。娘が勉強していた場所が妙に落ち着く。会社に行かなくてよいメリットを享受しつつ、大事な時間を株に飲み込まれてしまったことを後悔した。今こそ妻に寄り添わなければならないときなのに、私は妻からまた愛想をつかされた。娘からはたまにLINEが来るだけとなった。妻はいわゆる空の巣症候群という鬱状態だろう。結局、私は大変な状況の妻を抱えることもできず、相変わらず自分のことで精いっぱい。妻にとられた態度で負のスパイラルに逆行している。何でこんなに人間関係がダメなんだろう。本当に嫌になる。