妻の怒り

27日(土)の朝、妻が突然切れた。「お前は言ったよな。足を引っ張るんじゃねえよって。今はどうだよ。お前が足を引っ張ってるだろ。こんな誰からも助けてもらえない所に引っ越して、私は我慢してきた。人の心配ばかりしてきた。もう50歳になってしまった。今更何もできない。消化試合だよ。お前はうつとか、発達障害を錦の御旗のように振って、自分では何もできないと開き直る。」私は何も言えず無言で耐えた。(昔の投稿を見たら1年半前にも同じようなことがあった)

息子は国立大学の受験もたぶんうまくいかなかったのだろう。私立の結果は、私には何も言ってこない。母との間はどうなのだろうか。
見るも無残な50代である。40歳で鬱を発症し、この間何とか生きてきた。無理を重ね、6年後に限界を迎えて会社に告知し、それから失意と絶望の中、わずかな光を求めて生き長らえてきた。英語を頑張り、博士号を取得した。騙し騙し生きてきたとでも言おうか。研究職ならば、何とか務まるのではというかすかな望みに賭けたが、博士号が確実となった今、鬱がぶり返しつつある。出向時代のやることがない状態、実際にはあるのだが、頭がついていかず手につかない状態になってしまっている。テレワークでは悶々とする時間を過ごし、出社しても手持無沙汰、休日にもやることが見いだせず、休養どころか時間を溶かしながら苦しんでいる。英検1級の面接試験も、2月中は勉強の時間は十分とれたはずだが、結局何もできずに受験をパスしてしまった。
挙句の果てには、不眠に陥り、寝床で昔の現場長時代の振舞いを回顧しながら、ああすればよかった、こうすればかわすことができた等と悶々とするばかり。
生きていて、先が見えない。手ごたえが全くない。何をやってもうまくいかない。何をやっても罵声を浴びると思うと、どうしても逃げてしまう。息子に悪い影響を与えている。
昨日、一昨日は楽に死ぬ方法を探していた。誰とも情緒的接点がなく、一人でいるのがつらい。接点があるかと思えば嫌なことを押し付けられるばかり。免疫がない分、ちょっとしたことがずしんと響く。また、この先望みがないと思うと、踏ん張る気がしない。後輩にどんどん抜かれ、会社にいても惨めな思いをしている。家でも相手にされない。こんな文章を打っても、誰にも読まれない。私は何のために生きているのか、テレビも本も何もかもが鬱陶しい。