2022GW中の出来事②

【後半】5日は1日中希死念慮が頭の中で渦巻き、どうやったら迷惑が掛からず、かつ、苦しまずに死ねるかを色々と考えていた。マンションの大規模修繕のために足場が組んであるので、そこから飛び降りれば事故死になると思い、階段から足場への渡り方や落下地点の状況(栽植等のクッションがないか、巻き添えの危険性はないか)を確認した。ただ、いろいろ調べると、事故物件になってマンションの資産価値が下落すること、慰謝料を請求される可能性があり最悪の場合は財産放棄しなければならなくなることがわかった。どうやら簡単には死ねないようだ。そこで5日の決行はあきらめた。6日は転落防止ネットが張られてしまい飛び降りはあきらめた。6日は妻の仕事は休みだったが、やはり会話がなく一人部屋で悶々と過ごした。鉄道への飛び込みは支線の最終電車ならば損害賠償を最低限にできそうだ。夕方になって医師に診てもらった方がよいと思い、かかりつけ医に出向いた。希死念慮の相談をしたら、入院を勧められた。帰宅後、妻に思い切って話をしたら、「精神科の入院は止めた方が良い」との返事で、翌日話をすることになった。翌日、入院先に電話して費用や環境面の話を伺ったところ、4人部屋で1日8000円+食事代(月に20万以上)、また、入院中はあまりやることがなく、アクティビティやカウンセリングがあること、薬の調整がこまめに行えるとのことだった。また、敷地内を散歩している人もいるとのことだった。今の私の環境とあまり変わりないな、と思った。妻が仕事から帰宅したので、話を切り出したところ、「精神科入院したら何だかんだ言って薬を盛られるだけ、まともに戻って来られない。仕事柄そういう事例をいくつも見ている。私は反対。あなたは知らないかもしれないけれど私だって何度も死にたい時期があった。その時は本当に苦しかったが自分に言い聞かせ何とか生きてきた。苦しいのはあなただけではない。」と涙ながらに言われた。本当に自分が情けなかった。息子が帰ってきたので、3人で夕食をとろう、となった。久々の外食となったが、私にとってはうれしい出来事となった。翌日(8日)は妻も息子も早くから出かけ、また、私一人になった。今まで気力がなくて読めなかった「生きづらい時代の幸福論」を読んだ。改めていかに自分が弱い人間であるかを自覚することになった。「私はここ。私の気持ちはそこ。私と私の気持ちは別のもの。死にたい気持ちはそこ。私は死にたい気持ちではない。」と毎日唱えることでギリギリの幸福が得られるとあった。他に自己実現の方法等も書いてあったが、とても私にはたどり着けないと思った。夕食時、妻に母の日のプレゼントを息子から渡した。私は無意識に「おめでとう」と言ってしまった。「いつもありがとう」ではないか。あわてて妻へのメッセージをしたため、贈り物の中に入れた。