気が重い年明け

1月3日は妻の実家と、義父がいる施設に家族4人で行く予定だったが、施設でクラスターが発生して面会中止、また、娘が発熱があり帰省できないため、何の用事もない1日となってしまった。朝ベッドにいつまでもいたくないと思って部屋を出た際に、掃除中の妻から「気持ち悪い」と言われた。リビングに出て箱根駅伝を見ていたらダイニングで妻が食事を一人でとっていたので、なぜリビングに来ないのかを尋ねたところ「一緒にいたくないから」と言われた。それ以前も、息子に対しては普通に話をするが私と二人の時はずっと話をしない状態が続いていた。一緒にいたくないとはっきり言われたのがショックで、私はその場にいづらくなり自室に戻りベッドで横になりながらTVerで駅伝を見た。妻は昼過ぎにどこかに出かけてしまった。駅伝と言えば、8年前の休職中に当時小学生の息子とコースを歩いた思い出があるが、それを一人懐かしく思い出していた。六郷橋まで応援に行こうかと思ったが、人出が多いのと面倒くさいのでやめてしまった。終わってからは殿町まで気晴らしに散歩したが、気晴らしにならずビールとハイボールを3本飲んだ。家に帰ってからも飲み足らず、温かいモノが食べたくてカップうどんと酎ハイを追加した。その後、ベッドでウトウトしていたら8時になっていて、1日を無駄に過ごして終わってしまった。しかしながら、頭の回転も鈍く、将来の明るい兆しも見えない中、仕事でも家庭でも何をする気にもなれなかった。飲酒のせいか夜はベッドに入ってもなかなか眠ることができず、睡眠も浅かった。
1月4日、目覚めてから2時間以上布団にもぐって過ごした。妻が部屋に入ってきて私の予定を聞いてきた。10日までテレワークで会社に行かない旨を伝えたら、部屋が臭い、ワックス掛けたらと言われ、面倒だなと思った。息子に対してはインフルエンザの予防接種を予約するよう言っていたが、息子も面倒がってやらない。昼に出かけたと思ったら、バイトに行っていた。(今日も同じことを言われていたので、妻が出かけてから私も何度も言ったが返事だけでやる様子がない。親子で嫌なところが似てしまった。この時、私はイライラしていた。ASDの特性の一つに思い通りにいかないとイライラするというのがあるが、まさにこの状態だと思った。)一人でいるのがだんだんつらくなり、16時過ぎに多摩川沿いを歩き回転ずしを食べに行った。ほとんど何もしないテレワークだった。ニュースでは列島始動の文字が躍っていたが、私には関係のない世界だと思った。適応障害での休職明けで、研究所での人間関係や頭の悪さで職を追われようとしている者にとって、さらに孤独が追い打ちをかけて辛い状況となってしまった。妻が帰ってきたのは9時半過ぎ、相変わらず相手にされず無口なまま、二人でうどんを食べた。息子は10時半過ぎに帰ってきたが、自室に閉じこもり出てこない。食事と風呂を促しようやく出てきた。またイライラが募る。当時の自分を見ているようで、将来を案じてしまう。
1月5日、朝起きたくない。9時過ぎに朝食。相変わらず妻は私を無視。息子にもイラついているようだ。今日もテレワークだが、何もしていない。11日の会議での説明のことを考えるが、頭が回らない。こんなことで良いのだろうか。1日ベッドにいながら、本を読んだり、会議資料に目を通したり、この記事を書いたりして過ごしている。明日は新年会があるが、私は欠席。予定通りだが、気が重い。